「学問のすすめ」①

「大造じいさんとガン」

  今年も、いよいよ「大造じいさんとガン」を紐解く季節がやってきました。

  小学生の国語の教科書の中では、私個人としては、小5のものが秀逸であると思います。アルバイトに毛の生えた程度の塾の教師として教え始めたころ(まだ十代でした)から、この椋鳩十作の「大造じいさんとガン」は、杉みき子作の「わらぐつの中の神様」と並んで、現在までずっと載り続けています。

 

 このお話は、72歳になる老狩人の主人公「大造じいさん」と、渡り鳥であるガンの群れを率いる頭領の「残雪」との間で何年にもわたって繰り広げられる対決の物語です。後半、ガンの群れをめがけてハヤブサが襲いかかるクライマックスのシーンには、子どもならずとも、思わず引き込まれてしまいます。しかし、昨今のあまり感情を表にあらわさない小5の生徒達は冷静に感想を述べ、疑問をぶつけてきます。

 

   ___なんでスキだらけなのに撃たなかったの?

   ___大造じいさんの飼っていたおとりのガンを助けようとしている残雪を、撃てるわけ       

      ないだろ?そんなひきょうなやり方でやっつけたかあないぞってさ、いうところが     

      あったじゃないか。

  ___ひきょうなやり方でやっつけたくないってさ、だったらさ、ウナギ釣り針で捕るのは

      ひきょうなやり方じゃないの?

  ___いくら撃とうとしている相手だからといっても、後ろから撃つのはひきょうなやり方

           だ と作者は言いたいんじゃないか?

  ___おとりのガンを使って撃とうとしたり、エサをばらまいて、それを夢中になって食べ

          ているところを撃つのは後ろからでも許されるの?

 

 突き詰めていくと、論理的に説明することがむずかしくなってしまうことがよくあります。特に生徒から質問攻めにあって、それに対処しているときに、自分で矛盾していることを言っていると自覚することがあります。例えばこの話は、残雪というガンの頭領を擬人化することで、より身近に感じられて感情移入しやすくなる反面、この種の水鳥は食用としても美味な種類の鳥も多いので、リアルになるほど「矛盾」が頭をもたげてきます。

 

  相反する内容をどこまで深く説明したらよいのか、その年によっても、また、その時の授業の様子ひとつで、毎年違う雰囲気の授業がそこに現出することになるのです。授業は「生き物」です。この様に、生徒たちにどうバランスよく伝えられるのかは、それぞれの教師の「能力」・「感性」・「知性」・「知識」・「才能」に委ねられることになるのです。

 

 私としては、この物語は、「正義感」とか「正々堂々と戦う」とか、ガン狩りのやり方がひきょうなのかどうかを考えることが大切なのではなく、作者は、あくまでもクライマックスのシーンを何よりも強く感じてほしかったのだと理解しています。命をかけて仲間を守ろうとするあの「残雪」の行為の偉大さ、圧倒的な存在感、頭領としての威厳や崇高さといったものが、この物語の中心にあるのです。

 主人公である大造じいさんは、以前に自分が生け捕り、飼いならしておいたおとりのガンのせいで、残雪を死に追いやってしまうことに耐えられなかったのです。それは、自分のせいで残雪が殺されてしまうこと、つまり自分が残雪を殺してしまうことに他ならないことだったからです。

 

 命を懸ける行為に対抗できるものはありません。命はかけがえのないものだからです。命の重さ、命の尊さというものを、説教がましくならずに、こういう形で子どもたちに語っているこの物語は、小5の子どもたちの感性を大いに磨くべき時期に是非触れさせたい図書の一冊であると思います