「学問のすすめ」②
夏草(「おくのほそ道」から ) 早乙女 誠
「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。」で始まる「奥の細道」は、最も有名な紀行文の一つとして広く知られています。作者の松尾芭蕉は、この冒頭で旅について自身の考えを語っていますが、出発直前の高揚している気持ちが手に取るように伝わってきます。
馬子(今でいうと、タクシーやバス、あるいはトラックや電車など、人や品物を運ぶ運転手さんのこと)や船頭(こちらは今の船乗りさんのこと)たちは、毎日が旅をしているようなものだし、考えてみれば、中国の詩人たちや日本の歌人たちの多くが旅をこよなく愛していて、旅の途中で亡くなっている先人たちも少なくないと語っています。そして、「私は、今度の旅のことを思い、気もそぞろになってしまっている」と胸の内を明かしています。そしてその内容が、「そぞろ神」に取り憑かれ、「道祖神」が私を招いている、というのですからこれはもう尋常ではありません。
さらに芭蕉は「旅」の定義を時空の時間的な流れにまでひろげ、月日は百代(永遠)にわたって旅を続ける過客(来客、訪問客、旅人)であり、また過ぎ去っていく年もまた新たに訪れる年も、やはり旅人なのだと言い切っています。彼のこの感性には感服し、憧憬すら覚えますが、こうした芭蕉的観点から私なりにロジックを敷衍してみると、例えば「故郷に帰る」という行為は、帰省する行為だけでなく、帰る途中でどこかに行って何かをするという行為なども「旅」をしているように思えてきます。ということは、時の長短、距離の遠近に関わらず、どこかに住み込みで働いたり、そこを新居として新しい生活を始めることも、そもそも、そこに今いる自分の存在自体が「旅をしている」ように思えてきてしまいます。実に不思議な気持ちになります。
それにしても、芭蕉はなぜこれほどまでに旅に憧れたのでしょうか。
おしなべて、芸術家といわれる人たちは旅とは切っても切れない関係にあると私は感じています。直接旅とは関係ないと思われるかもしれませんが、楽聖ベートーベンは生涯で七十回以上も引っ越しをしていますし、神童のモーツァルトも交響曲の父ハイドンも、何かにつけて旅行ばかりしていました。
交響曲や室内楽などの作品のタイトルに地名の付いたものも少なくありません。メンデルスゾーンの第3交響曲は「スコットランド」、第4交響曲は「イタリア」というタイトルが付いています。第4交響曲の冒頭部分はとくに有名で、彼の感じたイタリアがダイレクトに伝わってきます。そこを訪れなければ、決してあの冒頭のホルンの響きは浮かばなかったことでしょう。
その地を踏んだ瞬間に、彼らの傑出した、繊細で研ぎ澄まされた五感が、気候風土、香り、異民族たちのつくり上げてきた独自の文化に出会い、彼らの醸し出すものに触れ、閃き、インスピレーションを得て作品が出来上がっていったに違いありません。彼らには、ふだん見慣れた太陽や月でさえ感動の対象でした。
芸術家にとって旅は、才能を鈍化させないための媒体の役割をしてくれる、なくてはならない存在だったのだと思います。そして芭蕉も、紛いもなくこうした芸術家の中の一人であったのです。