躾けと教育の現状

 

早乙女塾では、義務教育を修了するまでに、塾生一人ひとりが、それぞれ自学自習のできる生徒に育ってほしいと考えています。自学自習のできる生徒とは、自分のやりたいこととやらなければならないことを、自分でうまくコントロールし折り合いをつけることのできる生徒のことです。

 

勉強は決して楽しいものではありません。楽しんでやれるものではありません。私は「算数セット」に象徴されるような「楽しく勉強しましょうね」的な指導方針は根本的に間違っていると思っています。

 

私の現在の心配事というか、むしろ危惧しているといっても過言ではない関心事の一つに、「お箸の正しい持ち方のできていない子の割合」があります。このことは教育現場でも、ずいぶん前から話題にされていたと記憶していますが、その世代がすでに親になっていることを考えれば、その割合がどんどん増えていることが予想されます。このような状況は、なにも家庭内のことだけではなく、学校や塾などの教育現場でも同じことが言えると思います。例えば、「鉛筆の正しい持ち方のできていない子の割合」は、お箸の場合と酷似していると言えると思います。この両者を横軸に1920年ごろから1年刻みで100年、縦軸に中学1年時におけるそれぞれの人数を表すグラフにしてみるとよくわかるはずです。きっと興味深い結果になると確信しています。

 

このように、親の世代からその子供たちの世代に伝えていかなければならない基本的なノルマの中、家庭でするものを「躾け」、マナーも含めて公的機関で行うものを「教育」と定義すると、現代は、教育の現場に身を置くものとして、「躾け」がされていない子供の多さに驚かされます。

が鉛筆の正しい持ち方小学校の高学年になっても掛け算九九さえ怪しい子供が決して珍しくありません。教育が徹底できない時代になっているのです。

 早乙女塾は指導が厳しすぎるといってから

 日本の文法の中に、日本の世界に誇る文化があります。数詞という、ものの数につける複雑な呼び名のことですが、例えば、りんごなら「~個」あるいは「~つ」、魚なら「~匹」、馬なら「~頭」、家なら「~戸」、人間なら「~人」、相撲は「~番」、将棋や囲碁は「~局」、おなじ「きょく」でも音楽は「~曲」、この種類はまだまだあります。例えば、ご飯やお酒の「~杯」、料理のカニの数え方とちょっと思いつくだけもこんな具合ですが、厄介なものになると、数え方のよくわからないようなものまであります